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2009 09,28 01:06 |
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2009 07,13 16:08 |
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選りにも選って遠征前にマジ風邪をこじらせ、開戦前から既に傷病兵となってしまった役立たずサポーター、T-ウイルス京築。
今までの遠征の中で、最も体調不良に苦しんだとして記憶に残るであろう言い訳混じりの宮崎遠征記であります。 AM 05:15 小倉 『BRIGADE-01小隊』 朝、目が覚めた時から喉の具合が非常に悪い。喋ろうとすると咳が出て、喉が裂けるような痛みが走る。気管が炎症を起こしていることを自覚できる。こんなコンディションで遠征日を迎えることになるとは。加えて宮崎が暑かったら死ぬかもしれん。ハードな一日になりそうだ。 三萩野にて初参加の学徒兵を拾う。良くも悪くも若さを感じさせる高校生だが盾ぐらいにはなるだろう。僕からそう思われている事を知ってか知らずか、彼はNWについて自分の意見を述べている。 集合地点にてソメザイル号に乗り込む。昨年の最終節、守山遠征以来のソメザイル号乗車。体調は良くないが気分は高まってきた。大丈夫だ。 AM 06:00 須恵 『嘘だと言ってよオギー』 予定より早く小倉を出たせいか、OGY氏との合流場所である須恵にも20分早く着いた。しかしそこは時間に厳しいBRIGADE、「5分以内に来なければ置いていく」との内容の容赦ないメールを送りつける。僕は自分には甘いが人には厳しいのだ。 OGY氏はすぐに現れた。てっきり僕のメールを見て駆けつけたと思っていたが、僕のメールには全く気がついていなかったらしい。ガン無視ですか、そうですか。 さしたる抵抗も受けず、順調過ぎるほど順調に王国侵入に成功した。コンビニに立ち寄るとスポーツ新聞に『東国原断念』の見出しが見える。宮崎で東国原の記事を目にするというシュール(?)な状況に思わず笑う。 コンビニから出た途端に凄まじい日差しに驚く。 なんなのこの暑さ。今日の試合、間違いなくヤバイ。過去の事例から北九州の選手が走り続ける姿を想像出来ない。いや、この殺人的な日差しの中で走りまわれと言う方が非人道的である。 前日の他チームの結果で、ホンダロックに勝てば4位になるという話は聞いていたが、大きな試練の一日になりそうだ。 宮崎に先乗りして潜入工作に勤しんでいるであろう先遣隊に到着した旨のメールを出す。つまりは準備に入るので今すぐ来て欲しいという意図を込めたメールだったのだが、なかなか現れない。 時間が過ぎる毎に外の日差しは強くなり、気温も上がっているように感じられる。男4人の乗った車の中の不快指数は余裕で120%を越えている。ああ、早く出たい・・・。 AM11:00 生目の杜 『防御陣地設営』 いつまで待っても先遣隊は現れない。ソメザイル号の中の不快指数が200%に近づいた時点で車を出て競技場に向かう。 ソメザイル氏、OGY氏、そして僕の三人だけで準備を行う。ホンダロックのスタッフがミョーに親切だ。 生目の杜競技場はどことなく雰囲気が笠岡に似ている。非常にJFLっぽいというか。バックスタンド側に行く為に許可証をもらってトラックに降りる。関係者になった気分だ。 もはや、たばこを吸う気にもならないほど体調は悪化している。正午に近づいて気温もさらに上がっているように思う。日差しが痛い。 競技場前では地元の少年チームが全国大会へ出るという事で寄付を募っている。それを見たソメザイル氏がやたらと「楽をするな、そうめんを売れ、そうめんを」と繰り返す。 どうやらソメザイル氏が少年サッカーチームに所属していた頃、親御さんたちがそうめんを売って遠征費にしていたという。恐るべし北九少年サッカーである。 ぼちぼちと北九野郎どもが集まり始める。 先遣隊がようやく登場したが、なぜか既に疲れきっている。何をしていたんだ何を。 すでに生目の杜には本城の雰囲気が漂ってきた。いつもの常連に加え、僕は直接お話をした事はなくても本城で見た事のある顔が続々と集結している。 さらに博多で所用がある為、遠征見送りとなっていたはずの団長も特急で駆けつけて来られた模様。各小隊、商工会バスツアー、そして団長以下単騎突入組を加えた連合遠征隊は鳥取遠征を凌ぐ規模に膨らんでいる。 陣中見舞いに来て下さった社長をそっちのけで、その向こうの翔太くん親子を激写。 暑さは厳しさを増し、僕の体調も悪化の一途だが不思議と勝てそうな気がしてきた。 北九州の北九州による北九州の為の応援文化は少しずつではあるが確実に根付いている。 「北九州にJリーグチームを」とは言うけれど、それはつまり文化を創るという事なのではないか。実際に戦うのは選手達だが、文化を創るのは応援する人たちの、それぞれのシンプルな動機とシンプルな行動の積み重ねであると。 久し振りに登場、すっかり大人びてきたFちゃん。これから色んな環境に身を置く事になるだろうが、いつまでもFちゃんらしくあればいいね。 全ての人達を書くことは出来ないが、およそ本城に当たり前のようにいる面々が当たり前のように宮崎にいた、という感じ。もはや負ける気がしない。 僕の体調は遂に回復しなかったが、ここで死んだとしても仕方ないかなってな気分になってきた。暑さからではないミョーな汗が流れていたが、不思議と気分はよい。 '09JFL後期 第2節 ホンダロックSC 1-3 ニューウェーブ北九州 照り付ける殺人的な日差し、サッカーをするには過酷過ぎる高温高湿のコンディションの中、今季、僕が観た中では一番良かったのではないか。 動けなくっても仕方ないとも思える暑さの中、暑さに弱いと言われまくってきた北九の選手達が走り続けている。スタンドで立っているだけでもキツイが、中で走っている選手達は尚更キツかろうて。 暑さに加え、直前に飲んだ酒が悪い方向に作用したジーノ氏が戦線を離脱、急遽僕が太鼓を叩く事になってしまった。かなりキチい。フラフラの僕を見かねてTOMMY氏(だったと思う)から「代わろうか」と声を掛けられたが、それでも走り続ける北九の選手達を見て思わず「大丈夫です」と答えてしまった。こうなったら代役とはいえ男一匹、ヘタなりに最後までやらせて頂くぜ・・・。 試合は終始北九ペース、前半40分ぐらいだったか、コーナーキックから川鍋選手が頭で押し込んで先制。攻め疲れが見えてきた北九州の選手・応援者を勇気付ける一発だった。 後半も北九ペースは変わらない。 クソ暑さも変わらない。両チームの選手共に動きが鈍くはなっているが、北九州の選手達はそれでも前へ前への意思を打ち出し続けている。 中でも攻撃性を前面に押し出していた関選手が追加点、試合を決定付ける。 さらに長谷川選手が3点目。この頃にはもう僕は朦朧としていてデタラメに太鼓を叩いていたように思う。 真ん中辺りのフリーキックからファーサイドに長いボールを放り込まれドンピシャで合わせられて1点を返される。防ぐことができたようにも思うが、上手く隙を突かれた形だった。 残り時間や点差を考えれば誰もが勝利を確信していたが、この失点のおかげで北九州の選手達のプレーが再び締まったようにも思う。もちろん我々もだ。 非常に盛り上がった状況の中で試合終了、北九州は遂に昇格圏内である4位に名を連ねた。J準加盟チームの面目躍如である。 正直ところどころ記憶がない。太鼓を叩く自分の影を見ながらリズムをとっていた時間が多かったように思う。この試合では特定の選手が印象に残ったというより、『みんなよく走ってるな』とチーム全体に強い印象を受けた。 この夏、NW北九州は期待していいと思う。去年よりもタフになっている。 PM16:00 生目の杜2 『さよなら宮崎』 試合後、スタジアムのアナウンスに北九州サポーターへのメッセージもあった。遠方から来て共にスタジアムを盛り上げてくれてありがとうみたいな内容だったと思う。 試合を終えて、ホンダロックが北九州にとってもはや壁ではなくなっていた事に一抹の寂しささえ感じていた。 さよならホンダロック、さよなら東国原。もう来る事もないだろう。とか言って来年また来てたらそれはそれで笑える。いや笑えないか。 PM18:00 宮原SA 『なぜかみんなそこにいる』 18:00としているが正確には何時頃だったか全く記憶にない。宮崎西から高速に乗って160kmほど走ったところで、少し休憩しようという事になった。 当初は一つ前の山江SAに寄るつもりだったが、なんだかんだでスルーぶっコイてしまった為、その先の宮原SAにて休憩する事にした。とにかく腹が減っているのだ。 ここには「宮原ラーメン」という異色のメニューがあった。 腹が減っている時に新しいメニューを選ぶべきが、実績のある無難なメニューを選ぶべきかで意見が分かれた結果、ソメザイル氏が宮原ラーメン、OGY氏と学徒兵が熊本ラーメン、そして僕がカレーという選択を行った。 ソメザイル氏は僕が食べている間も終始「勝負を避けた」「つまらない男」等、カレーを選んだだけでまるで僕が粗チン野郎だと言わんばかりに言葉責めを行ってくる。日本でカレー以上に信頼の置けるメニューがあるんかと。 そんな他愛もないやりとりをしていると、どことなくルパン風味の男性がこちらに近づいてきた。『次元ならここにはいませんよ』と言おうかと思ったが、よく見るとサポーターズTVのアタル氏だった。 我々としては舞ちゃんを連れていないアタル氏にはなんの用もないが、どうやら商工会ツアーのバスも宮原で休憩らしい。あっという間に本陸の怖い常連さん達に囲まれてしまった。この空気の中でカレーを食わなきゃならんですか。 それでもまぁ、ここで会ったのも何かの縁っちゅーことで、おごって下さいと冗談ぽく本気でせびってみたが、バッサリと断られた。そういうところだけはキッチリしているのが北九サポーターである。ちぃっ! 外へ出るとそこにはシルオ氏ファミリーがおられた。当初、まるで西ヤンを見るような目で僕を見ていた娘さん達も、やっと僕に心を開きつつあるようだ。 さらには博多で所用があると高速バスでとんぼ帰りしたはずの団長までおられる。 一体、宮原SAの何が北九サポーターを引きつけたのかはわからねど、不思議な縁を感じた休憩タイムだった。 PM21:45 行橋 『うちにかえろう』 お互いの道中の無事を願いつつ、それぞれがそれぞれの方法で帰ってゆく。 今回は僕自身の体調不良という事で、終始ぐったりしていたのが反省点である。キツくても負のオーラを出しちゃいかん。頑張ろう。 須恵でとっととOGY氏を放置し、いや、降ろして別れた後、小倉へ向かう。途中で見覚えのある車に追い抜かれたがすぐに追い抜き返した。北九人のこのすぐに張り合う癖はなんとかならんか。 21:00頃には小倉に着いていた。ソメザイル氏の車から追い出されたのち、自分の車に乗ってホッと一息。学徒兵を三萩野で放置して、いや降ろして行橋へ戻る。 おそらく、今回、北九方面からの遠征者の中で、最も早く家を出たのは僕であり、そして最も遅く帰るのも僕なのだろう。覚悟の上さ、仕方ないね。 何と言うか遠征は楽しい。本城に通って、そして遠征にも行くなら尚楽しい。 本城で見たことがある人達と、遠くの街で同じ目的で集まるという不思議な共有感覚。それは勝ち負け以上に貴いものだと思うわけです。 多くの人の感情を集積し共有させる存在であり続けるなら、このチームの活躍場所がJFLだろうがJリーグだろうがその存在意義はまったく揺るがない。 ただ、この集積と共有のレベルをもう一段階引き上げ拡大する為に北九州はJリーグを目指す。Jリーグは手段に過ぎないと言い切れるほど北九州は野心に溢れているのだ。 このホンダロック戦の勝利で遂にJ参入要件である4位に浮上。 もちろん今年のJFLは異常な混戦になっているので次に負けたらすぐ落ちてゆくワケですが、それでもやっとここまで来たというのが正直な気持ち。 いよいよ面白くなってきたJFL、そしてNW北九州。 この夏が終わる頃に、僕らはどんな話をしているだろうか。 |
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2008 12,01 16:36 |
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「レザボアドッグス、小倉某所」2008年11月30日02:50 『弱り目に祟り目』とはよく言ったもので、先日の『火の七日間』の最中に左目が炎症を起こして、人と目を合わせるのも申し訳ないぐらいにホラーな左目になっておりました。今回の遠征は右目だけで切り抜けるしかない。 そんないつもの「オレ頑張ったアピール」を既に出発前から用意していた我輩をドン引きさせるようなMAD総長のこの一週間の出来事を聞く。 僕の『火の七日間』がマッチの炎程度にしか思えない程の面倒な事だらけだったようで、さすがに今回の団長はイジリ辛い。最後に到着したソメザイル氏から容赦なくイジられて苦笑いを浮かべる団長は心なしか4,5歳老けたように見えた。 「ナチュラルボーン・スカイウォッチャー」2008年11月30日09:00頃 家を出る直前までガッツリ熟睡していた僕はいつになくコンディションが良い。下松から三木まで一息に駆け抜けても、まだ走れる元気が残っていたが、無理せず団長とスイッチ。 冗談抜きで大阪までなら楽勝モードだ。JFLの遠征に参加するようになって日本列島の距離感が狂い始めている。 ハンドルを握る団長は普段以上に毒舌である。目に入るもの全てに毒づく。「オマエのブログはつまらん。何が自分で自分を褒めたいだ、オレみたいにもっと自分に厳しくなれ」と説得力ゼロの説教をされる。 積み重なった気苦労がここまで人の心を歪めるものなのだろうか。 栗東で降りるものと思っていたが、ナビが示すのはなぜか琵琶湖大橋を渡るルートだった。遠回りにも思えたが湖越えが少し楽しみになったのでさほど苦にならない。 左手に比叡山が見えた為、「あれが有名な比叡山ですよ」と声を掛けたが二人からは「どうでもいい」「興味ねー」と冷え冷えとしたリアクションしか返って来ない。 それにしてもこの日は空が非常にキレイだった。先日の強風が大気を入れ替えたのか空気も澄んでいて山もキレイ。曇り空の下でしか見ることの無かった琵琶湖も今日はキレイに見える。 「BRIGADE in 守山」2008年11月30日10:00頃 競技場に着くとさっそくスタッフいじりを開始。といっても我々が陣取る場所や横断幕の掲示場所の確認、鳴り物使用の可否などを前以て打ち合わせをしているのだが、アウェーではこれをやっているかいないかで、やり易さにかなり差が出る。 「あの建物は何ですか」と圧倒的な存在感を示すカラフルな建物について尋ねようとかと思ったが、話し合いが思いのほか円滑に進んでいるようだったので自重した。と言うか、これは見えても見えない振りをするのが大人の対応だろう。それにしても空がきれいである。 観客がかなり少ないのではないかと思えたが、北九州と同じで試合開始直前からわらわらと人が集まって来る。 結局はメインスタンドはかなり賑わっていた。北九側もそれなりに集まっていて安心。 団長は競技場正門近辺にあった銅像に興味を持たれた様で写真を撮ってくれと僕を呼ぶ。 仕方ないので2,3枚撮影すると、「オレも撮ってやろうか」と声を掛けられたが、「いや、全然興味ないんで」とバッサリ切り落とす。 団長は「フッ・・・」と少し寂しそうな笑顔を浮かべてスタンドの方へと戻って行かれた。まるで初めて娘に一緒に風呂に入る事を拒絶された父親のような切ない表情であった。一体どれだけ心が疲れ切っているんだこの人は。 「ネバーエンディング北九州」11月30日15:00頃 JFL後期第17節 SAGAWA SHIGA FC 2-0 ニューウェーブ北九州 比叡山の山並みから吹き降ろしてくる風が、琵琶湖でさらに冷えて我々を凍えさせたこの日、JFL2008年度、最後の試合は残念な結果に終わりました。 実にきれいなゴールを決められた。後半、北九州も捨て身の攻撃で1点を取りに行くが、佐川の組織的なディフェンスにコースを遮られ続け、無得点のまま試合終了。 気迫が無かったワケでもないし、良い選手もいたが、まるで前回のホーム最終戦で燃え尽きたのかなと思えてくるような内容でした。 試合終了後、引退する選手のセレモニーを行う佐川滋賀の人達を横目で見つつ、「今日は北九の日ではなく、佐川滋賀の日だったのだ」と思うようにした。 少し寂しい結末ではあったが、満身創痍でシーズンを戦い抜いた選手達や監督、スタッフには今は労いの言葉しか思いつかない。 今シーズンはこれで終わりですが、北九州の奇跡の物語はまだまだ続いてゆくし、まだまだ登場人物が用意されている気配がする。クライマックスを迎える準備段階に我々は入っていく事になります。 「うちにかえろう」11月30日15:30 美しい琵琶湖も比叡山の稜線も、台無しにして余りある圧倒的な存在感を放つカラフルな建物。中で真っ昼間から行為に及んでいたであろう人達に届けと言わんばかりに叫んだ競技場ともお別れ。 特に寂しさはない。例え来年僕が来れなかったとしても、別の誰かが駆けつけてNWを応援しているだろう。守山で出会った人達とも必ずどこかの競技場で顔を合わせる事になるでしょう。 その時にはまた宜しくお願いします。 それにしてもこの日は空がきれいで夕焼けも非常に美しかった。 どことなく平尾台に似た比叡山の稜線に懐かしさを覚えつつ滋賀を後にする。 今回の遠征はパラッカム様が居られないせいか、思いのほか順調過ぎて困る(ネタ的な意味で)。 浜松遠征以来、謎の失踪を続けるパラッカム様の早期発見が待たれるところです。 「よもやのBRIGADE in 壇ノ浦」2008年11月30日23:10 ETCの関係で午前0時にゲートを通過したいBRIGADE一行、あれだけのんびりチンタラ帰って来たのにまだ時間が余っている、という事で壇ノ浦にて時間潰しを行う。 大津で牛丼特盛り、三木でたい焼き・コロッケ・いか焼きを食した我輩、さすがにもう食べられんと思っていたが、特製カレーが非常においしそうに見えてしまい、思わず注文してしまう。無性に腹が減っているのだ。 団長がうどんを食べつつブログを更新している間にぺロリと平らげる。この壇ノ浦の特製カレーが本気でウマい。今年最後の遠征という事で感傷的になっているせいなのか、食べるものが全ておいしい。 最後の最後で待っていた男3人で関門海峡の夜景を見るという罰ゲームに「最悪」「人生で最も無駄な時間」と容赦ないセリフを吐き出す団長及びソメザイル氏。申し訳ありませんがそれに関しては全く同意見であります。 とはいえ、対岸に見える門司港の点滅する夜景を見ながら、シーズンが終わってしまった寂しさと、しばらくはここを越えなくていいんだなと少し安堵する気持ちとが交差する不思議な時間を過ごしました。 午前0時を越え、小倉に舞い戻ったBRIGADE一行、開幕戦の富山遠征から始まった2008年JFLの旅、ここでひとまず終了でございます。 最終戦を見届けるべく守山へ駆けつけられた皆さん、そして色んな場所で応援して来られた皆さん、本当にお疲れ様でした! |
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2008 11,19 17:23 |
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我々の旅費は新幹線等を使用した場合に掛かる旅費を遥かに下回る。安く早くがモットーのBRIGADE遠征隊、そこに快適さなど求めてはいけない。
今回のミッションは『浜松までなら余裕で日帰り』である。つまり試合後、9時間以内に小倉帰着を目指すものだが、それは即ち休憩もほとんど取らずに走り続ける事を意味する。 今回の『その時、BRIGADEが動いた』は2008年11月16日の午前0時から小倉帰着までのBRIGADEの旅路を、BRIGADE京築が残した手記を元にお送り致します。 出発前のブログの更新を終えた後も、集合時間までには余裕がある。何せこのメンツだ、時間通りに集まるワケがない。岡山遠征でも鳥取遠征でも一体何十分待たされた事か。ギリギリでいいんだギリギリで。 そんなわけで23時過ぎに行橋の豪邸を出発、途中、コンビニに立ち寄り飲み物を買う余裕さえ見せていた。下曽根を越えた所でブルーノ・Y・ソメザイル氏から「まだ来ていないのか」とメールが来る。 思わず時計を見るが23時30分、なるほど、ブルーノ氏だけは30分前に到着する事が多い。大丈夫だ、団長やパラッカム氏が僕より早い事など有り得ない。 小倉某所に23時50分に到着。我ながら完璧な時間調整である。 しかしそこで驚きの光景に目を疑う。既に全員が揃っており、ソメザイル号でスタンバイしているのである。こんな事は一度も無かった事だ。急いで車を降り、ソメザイル号に乗り込む。 「みなさん、今日はやる気が違いますね!」と声を掛けると、「いや、別にやる気はねーけど随分待ったよ」といきなりのローテンションに何故か僕が遅刻した風な言い草である。少しでも有利な立場になるとこれだ。 何はともあれ、予定通り午前0時きっかりに小倉某所を出発、順調な滑り出しである。 「悪夢のロールプレイングゲーム」2008年11月16日午前0時~9時 稀に見る順調な滑り出しで関門大橋を通過、もう見慣れ過ぎて誰も何も言わないが我々の大事な凱旋門である。無事に、そして必ず勝利を見届けて帰って来るぞと一人思う。 車内では「それぞれの会話とアドリブのスキル向上」の為と称してロールプレイングゲームが行われていた。ドラクエやFFとかの話ではなく、自己啓発セミナー等でよく行われているアレだ。 「シャイで真面目で結婚願望はあるが、少し恋に疲れた27歳OL」風の設定をされた僕は、正直BRIGADEに疲れを感じ始めている。 一方で「真面目だが奥手で女性に対して冒険が出来ない画家志望の男子大学生」風の設定のパラッカム氏と「積極的でキャバクラのバイトをしているが本当は燃え上がるような恋を探している20歳フリーター女性」設定のMAD総長はノリノリである。 全くやる気の無い僕に「今はAV監督やってるけどいつかはハリウッドで大作を撮ってやるぜと野望に満ちた映画監督」役のソメザイル氏から「真面目にやって下さい」とダメ出しが飛んでくる。 ああ、早くこの車から降りたい・・・。 結局、浜松に着くまでサッカーの話を一切しておらず、途中、我々は一体どこに何をしに行くのだろうかとふと我に返る瞬間が一番つらい。 午前9時頃には既に静岡入りしており、都田近辺に出没していたBRIGADE一行。迷う事無く競技場を見つけて気持ちも和らぐ。競技場に降り立った我々の眼に留まったのはメインスタンドに掲げられた金のくす玉、略して金玉である。セレモニーをやるつもりか・・・。 今のうちに割ってしまおうかと不穏な考えで悶々としていると、ホンダのスタッフから話し掛けられる。 「車はすぐそこに停めたらいいよ、雨が降ってるから荷物はここに置いといてもいいよ」と随分親切である。「試合が終わったら色々やるけど許してね」と王者の余裕。 「何なら一緒にくす玉割る?」とも言われたが、それは立場上マズイと団長がやんわり辞退する。冗談で言ったのであろうが実際割ってたら北九に残ったサポーター仲間もドン引きしていた事だろう。 よもやの放置プレイを喰らったパラ氏が慌てて我々を追いかけてくるが、団長は車を停める素振りすら見せない。 もちろん、本当に放置するわけではなく、目の前の駐車場に停めるだけなのだが、パラ氏の慌て振りが尋常ではない。もしかして本当に放置した事があるんじゃないかと疑念の眼差しを前の二人に向ける。 駐車場にまで追いかけてきたパラ氏は車の進行方向に移動する為、客観的に見れば轢き殺そうとしているように見えたはずだ。団長はパラ氏に「停めるだけや!邪魔や!」と言いつつどこか楽しそうだ。 車を停めてしばらく待っているとファミレス大好きジーノ氏が到着、やっぱりファミレスにいたそうだ。ジーノ氏と話し込んで気づかなかったが、いつの間にか駐車場内にもう一人いる。 地元の人だろうか、おもむろにラジコンカーを取り出してドリフトターンで遊んでいる。なかなかのスキルだ。 と、思っていたら警備員から止められていた。一度は素直にやめたように見せかけて、またラジコンを走らせる。浜松の人間もなかなか曲者のようである。 再度警備員から注意を受けてようやくラジコンをしまい込んだその男が「最近の趣味なんよ」と言いながらこちらへ歩いてくる。良く見ると本城でビキニパンツを披露した通称・カリヤさんだった。 「こないだここでボコボコにやられて」と言われ、FC刈谷がホンダに6点ぐらい取られて負けてた事を思い出し、思わず吹き出しそうになるが、北九州と刈谷の友好関係にヒビが入りかねないのでグッと堪えた。 画像はホンダのテント設営を手伝っているジーノ氏と刈谷氏。どうあれ北九州サポーターの好感度が間違いなく上がったであろう。ちなみに僕は見てるだけである。 それどころか負ける可能性が高い試合でしかも雨降りは確実、年末も近づくこの忙しい時期にサッカーを観る為だけに静岡まで来れる者が何人いると言うのか。 僕だって今回は欠席の可能性があったんだ。7,8人が関の山だろう、とタカを括っていたのだが、続々と濃いメンツが集まってくる。 NW系ブロガー(←使ってみたかった)のちょっとしたオフ会みたいな感じになっていたそうだが、照れ屋の僕は目立たないようにコソコソしていました。 とりあえず「意外にマトモ」ともっぱら噂のマイクラガ氏の本体を遠くから確認。話し振りはブログからは想像もつかないマトモさである。 キャラ立ちしまくりの濃い顔ぶれが増えてテンションが上がってくると、隣で団長とパラ氏が踊っていた。あまりのヨゴレ度の高い絵ヅラに思わずカメラを取り出す。今日はなんだか盛り上がりそうな気がするさー。 「癒しのハーフタイム」2008年11月16日午後13時50分頃試合中も雨は止まない。ハーフタイム中、地元の子供達の鼓笛隊の演奏があった。大雨の中、必死に演奏する子供達。けなげや。 「この日の為に練習してきました」というアナウンスに、汚いものをたくさん見てきた僕の目から感動汁がこぼれそうになる。 自分達のイベントを精一杯やり遂げた子供達が我々の前を通過して退場していく。オッサンはけなげな子供達が大好きじゃ。そんなわけで拍手で出迎え、「みんな良かったよ!風邪引くなよ!」と声を掛けると、子供達の顔も和らぎ、我々に手を振りながら「頑張ってね」と返してくれた。試合中はピリピリしているが「それはそれ、これはこれ」である。 「名門Honda FC」2008年11月16日13時50分頃~15時30分 画像は都田の競技場の壁にあったホンダFC歴代の選手と戦績のプレート。隣にはホンダFCに在籍してJリーグへと進出した選手の一覧もあり、「水原大樹」の名前も確かにあった。 後半、それまで圧倒的に攻め込まれていた北九州が序々に反撃の回数を増やし始め、試合の熱気が雨を忘れさせてくれた。北九州の持ち味でもあるしぶとさが随所に見られ、完璧に見えたホンダの連携を狂わせてゆく。 応援も非常にやり易かった。後ろから殴りつけるような野太い声に釣られるように声が出てノリ易い。熱い試合展開も相まって非常に心地よい時間を過ごせた。 試合終了後、我々に妨害する間も与えないほどにソッコーでくす玉が割られ、ホンダFCの優勝セレモニーが行われた。 「来年もよろしく」ってな感じで挨拶代わりのホンダコールを送ると、ホンダの選手も振り返って手を挙げ応えている。ホンダのサポーターからも北九州コールを頂いた。雨の中ではあるが見応えのある良い試合だったと誰もが思っていたのではないだろうか。 サクサクと撤収作業を行い、それぞれが帰路に着く。これが今シーズン最後の観戦だった人も多い様だ。本当はみんなで写真を撮りたかったのだが、バタバタしていてタイミングを失った事が心残り。 駐車場でホンダのサポーターさん達と会話する機会があった。 「ええ試合やった。ホンダと北九州は最早ライバルと言っても過言ではない」と強引にライバルと認めさせようとするが「ええ~!?」みたいなリアクションが返ってくる。むぅ、なかなか手強いな。 ホンダにしてみればJFLを通過点と見ているJ志向チームをライバルと見るのは抵抗があるのかも知れん。最終的には今シーズンは勝敗が着かなかったと言う事で渋々ライバルと認めて頂く。有無を言わせないのだ。 とりあえず僕の倒すリストにMIOびわこ草津、ソニー仙台と共にHonda FCが書き加えられた。 ファジアーノはもういい。とっととJに上がれ。そして僕らの事など忘れちまいな。 仲間達と再会を誓い、一路、小倉を目指す。夕方の混雑を考えれば17日0時までの小倉帰着はかなり厳しい。 夜通し走って、ほぼ一日中雨に打たれ風に吹かれた体は既に疲れきっている。浜松から寝させてもらい少し回復する。20時頃、兵庫県の三木でようやく休憩。 この日一日マトモな食事を摂っていないなとロッテリアのハンバーガーを頬張りながら話す。何かと大活躍だったパラ氏は車の中で眠っておられる。 兵庫県から4時間で小倉など、どう考えても不可能だが、翌日は全員が朝から仕事と言う事もあり、少しでも早い方が良い。帰りの車中では意外と真面目な話をした。これまでの事、これからの事。 来年も変化は必ず起こる。しかも今年よりも大きな変化が起こりそうな気がする。そんな中でも僕は僕で流されない様に原点を忘れないようにしたい。 「今日のその時」 我々の凱旋門こと関門大橋は既にライトアップの時間を過ぎており暗い。まるで「引き分けならこれぐらいで」とでも言っているようだ。本当に可愛い橋である。 今日のその時、YELLOW★BRIGADE小倉到着時間2008年11月17日0時45分。 当日中の帰着は達成し得なかったが、今回も無事故で終えたことに満足。 これで僕の今シーズンの観戦は最終節を残すのみとなりました。 駆け抜けて来た今シーズンが終わる時に僕らは何を思うだろうか。今は最後の最後まで楽しみ尽くす、それだけである。 ナレーター:松平タグオ 都田で出会った皆さん、有難う御座いました。 ふざけてばかりいるけれど、本当はいつも感謝しております。 |
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2008 07,29 01:56 |
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(*初めに、このクサレ長文はほとんど身内ネタです。分けて書くほどの内容でもないので一気書きしました。予想以上に長くなったので暇なら読んでねってレベルです。) 何年後かにはACL(アジアチャンピオンズリーグ)で中東勢と当たり、サウジ遠征とかイラン遠征とかあるかも知れん、その日に備えて「仮想中東遠征特別演習2008夏」と称して鳥取砂丘を目指したBRIGADE本隊・・・果たしてその運命や如何に。 「小倉、午前3時」 人一倍張り切っていたワタクシ、2時40分に到着、間違いなく一番乗りだろうとタバコに火を点け余裕をかまして車外に目をやると、ドラッグの売人風の長髪の男がスタスタと歩いている。 我が目を疑う。まさか団長が遅刻もせずに定刻15分前にいるなんて富山遠征以来ではなかろうか。 団長はギリギリか遅れて来るものと確信していた我輩が到着メールを団長ではなくブルーノ・ソメオカ氏の方に出していた事は秘密だ。 ブルーノ氏からは「10分後に着く」との返信が既に来ていた。そしてその通り10分後にブルーノ氏到着。 ETCの深夜割の為、遅刻は許されない事を全員が理解している。完璧だ。これは勝ったな、鳥取に。 一人戦意の高揚を感じる僕の横で団長&ブルーノ氏が不穏な会話を始める。 「メールが返ってこない」「寝てますね」 ああ、そうか、四人目を忘れていた・・・。レジェンド・オブ・北九州と呼ばれるあの男、パラライン閣下を・・・。 団長が半ばキレ気味でパラ氏に電話を掛ける。30分後に着くと言う。やはり寝坊らしい。 4時までに高速に入らなければ深夜割は効かず、この中途半端な時間に集合した意味がなくなる。パラ氏はそれを理解しておられないようだ。 しかし午前3時20分、本当に30分後、髪を短く切ったパラ氏は見たことがない斬新な寝癖で到着。「目覚ましが効いてなくて」と小学生のような言い訳をしておられる。本当にカワイイ人だ。 後にこの髪型と寝癖から新しい名前が付けられる事になろうとは知る由もない。 「下関~津山」 初っ端から波乱含みの展開だったがなんとか無事に関門海峡を越える。帰りには凱旋門として我らを迎えてくれるだろうと心の中で関門大橋に別れを告げる。 寂れた中国自動車道を東へ進む黄色い旅団。車内ではパラ氏が「竹島問題」について熱く語っておられる。 何でも「竹島問題」に関連して対馬に上陸した韓国人が「対馬も韓国領だ」とデモをやらかしていたらしい。 愛国烈士たるパラ氏は本当ならば対馬に赴きたかったとの思いを醸しだしておられる。 長野で中共、笠岡で日○組を撃退したパラ氏は対馬でも不逞なる韓人共を一掃したかったと申されるのか。 まさにレジェンド・オブ・北九州。竹島は日本国の固有の領土でございます。対馬?ふざけんなや韓国人。 そんな話をしながら津山に到着。ここから下道を通って鳥取に向かう。 生粋の田舎者のワタクシ、津山の美しい風景に「ええ田舎や!」を連発、団長も「でけぇクワガタがいそうだ」と目を輝かせておられる。 ああ、よかった。午前3時出発に乗り気でなかった上にパラ氏の遅刻が重なって若干機嫌の悪かった団長も機嫌を直してくれたようだ。この遠征は半ば成功したようなものである。 「IN鳥取」 朝9時半頃には既に鳥取県に侵入していた我々。鳥取市に入っていたものの街の気配が全くない。 鳥取県は最も人口が少ない県らしい。あとで調べた事だが、鳥取市の人口・面積は京築(2市5町)の人口・面積とほぼ同数だった。 どうりで懐かしさを感じるわけだ。鳥取市中央部に入るまでの道は椎田や犀川を走っている錯覚を覚え、市街地は苅田や行橋を走っている錯覚を覚えた。 バードスタジアムを目視した後、我々は鳥取砂丘に急行、砂丘に着いたのは10時半頃だったように思う。 鳥取は連日36度を超える猛暑日でこの日も殺人的な日差しが降り注いでいた。鳥取砂丘に到着し、車を降りた時点で既にMAD総長のテンションは著しく低下していた。 「一番来てはいけない時期の一番来てはいけない時間になんで砂丘にいるんだ、俺達は」とMAD総長が自問自答を始める。危険水域だ。 「団長、ほら砂丘ッス!団長、日本海ッス!団長、らくだッスヨ!」と必死に煽るが、もはや団長のテンションはどん底で回復不可能であった。 さて、鳥取砂丘にラクダがいるのは有名な話だが、このラクダ、写真を撮るだけでも金を取りやがる。 ラクダに乗って周遊すると1800円も取る。有り得ん。 と、思っていたらパラ氏が何やら交渉を始め金を渡しているではないか。まさか乗るのか?という我々の冷視線を気に留める素振りすら見せずに颯爽とラクダにまたがるパラ氏。 まさにレジェンド・オブ・北九州。 「一度は見ておきたかった」と辛うじてノーマルテンションのブルーノ氏、「満喫しました」とハイテンションのパラ氏、「砂丘に来て良かったですね!」と話しかける僕をギロリとにらむ、どん底テンションの団長。 いやぁ本当に楽しかった。 「鳥取砂丘~バードスタジアム」 鳥取砂丘を後にしたのが11時頃。試合開始まであと7時間半。 砂丘から帰ってくる途中の山からイオンが見えたとの証言があり、そこで時間を潰そうという話になる。 しかし手持ちの地図には載っていない。「おそらく駅前のジャスコと見間違えたのだろう」という事でジャスコを目指して鳥取市中心部をぐーるぐる。 二週目にしてジャスコ発見、すぐさまIN。 トイレに向かう団長とパラ氏に「フードコートで座って待ってる」と伝えて別れる。 フードコートでブルーノ氏の「このジャスコが鳥取の中心、鳥取の若者が集まる場所」などとデタラメな解説を聞いているうちに団長が合流するがパラ氏がいない。団長も知らないと言う。 ジャスコで迷子て。子供か。 北九州サポーターで唯一の人格者と言われる僕が「探しに行きましょう」と呼びかけるが、団長&ブルーノ氏から「探さなならんほど重要人物ではない」「なんなら置いて行ってもいい」と、どことなく本気っぽい言葉が返ってくる。 というか本当に探しに行かずにソフトクリームを食べてたわけだが。僕も。 しばらくするとパラ氏が我々を見つけて近づいてきた。「いやぁ、探しましたよ」と表情一つ変えずにのたまう。 パラ氏の中では迷子になったのは自分ではなく我々の方だったらしい。 まさにレジェンド・オブ・北九州。 12時、ファミレスで時間を潰そうという話になりジャスコからでて再び鳥取市街を徘徊。するとイオンの看板を発見、どうやら本当にイオンがあるようだ。 イオンをぶらぶらした後、やっぱりファミレスが良いという事でイオンの前のファミレスに徒歩移動。 せめて15時ぐらいまでは時間を潰さねばならん。 ファミレスに入ってまずはドリンクバーを四人分注文。まぁ基本ですな。 その後、メシを食っていると、「昔NWにいた久保田という選手が今、隣の島根で教員をしている」という話になる。相当に個性的な選手だったらしく話を聞く限りではかなり僕好みのプレイヤーじゃないですか。 「もしかしたら今日、島根から観に来るかも知れませんね」と僕が言うと、「いや、別に来ても俺は用はないけど」とばっさり斬り捨てる団長。 こういう暇つぶしがてらに僕が知らない時代のNWの数々の伝説をよく聞くことができる。 僕が知らない選手やサポーターの名前がたくさん出てくる。残念なのはそれらの伝説的な事柄を誰一人としてライブで書き留めていないことだろうか。 結局はこのように口伝という形でしかNWの歴史が残っていないのだ。 しかしここから先は違う。Jリーグへと続く険しい道程の中で生まれる様々な出来事や、その時サポーターはどう考えていたのかとか、選手達はどうだったのかとか、きっと誰かが書き残してくれるだろうし、誰も書かないなら僕が書くだろうし・・・。実際、タチコのハットとか、何年後かは絶対に伝説として語られるだろうしさ。 そんなことを考えている内に15時になり、ファミレスを出てバードスタジアムに向かおうという話になる。 レシートを見てそれぞれの金額を出してパラ氏に渡す。パラ氏がレジで清算しているうちに団長&ブルーノ氏はとっとと店を出る。実はここでもパラ氏と一悶着あったが割愛します。一つ一つ書いているとキリがない。 「試合前~試合後」 バードスタジアム到着は15時過ぎ。一番乗りであったが駐車場が開放されるのが16時だとか。仕方ないので荷物を降ろして団長とパラ氏を残し、ブルーノ氏と僕が車を停められそうなところで16時まで車中で待機という形になった。 「忘れ物はないですか」とブルーノ氏が声を掛け確認、ここで再び団長&パラ氏のコンビと別れる。 五分後に団長からメール。「こっち来る時アホの荷物も持ってきて」。 名前は出してなかったが僕とブルーノ氏は無言でパラ氏が座っていた後部座席を見る。思いっきり自分の荷物を忘れておられた。 数は少ないが様々な遠征地で不利な状況を戦い抜いてきた ここで突然、団長がパラ氏に対して本気のモッシュを敢行。この時一日の出来事が僕の頭の中でフラッシュバック。 午前3時の遅刻の件、財布忘れの件、携帯忘れの件、ジャスコでの迷子の件、ファミレスでの清算の件、荷物忘れの件等々、パラ氏との楽しい思い出が一気に甦り、気がつけば僕もモッシュ祭りに参加していた。 こうやって我々は深い絆で結ばれていくのですね。 あまりに激しいモッシュ祭りに事情を知らない周囲の方々は若干引き気味だったようですが・・・。 試合の方は残念ながらご存知の通り悔しい結果となりました。 本当に悔しかった。審判のせいにする事さえ悔しかった。 試合が終わっても壊れたCDのように歌い続けるガイナーレの連中を尻目に、四天王総帥と肩を組んで「悔しい!ちくしょう!」と月に吠えた。 そういえばこの試合、ファジアーノのサポーターさん達が北九州の応援に来てくれてました。 まぁそれはいいんですが、彼らが去った後に北九州のサポーター仲間が携帯電話を拾う。 みんな遠慮してるようだったので僕が容赦なく開けてみると岡山の選手の爽やかな笑顔の待ち受け画像、思いっきりあいつらやんけ。 そういえば地域決勝でもファジアーノのサポーターが落としたマフラーやら眼鏡やらを北九州サポーターが拾って届けたりしてるのだが、まさか同じことが繰り返されるとはどんだけウッカリ者が多いんだ、岡山は。 とはいえそれが縁で彼らとは比較的良好な関係ではあるわけですが。 スタジアムを出る前に再会し手渡しできたので手間は省けましたね。 こちらの負け試合の後なんで岡山に嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、その前に彼らからこちらを気遣う言葉を掛けてくれたのでやめた。あまり気遣われても惨めなので適当に流したが。 「うちにかえろう」 まぁ他にも鳥取の緑ヘルメットさんや桑原姉さんの話もありますが、直接の絡みは団長なのでそちらにお任せ。とにかくいろいろあった鳥取遠征でした。 こうして鳥取を後にする事になったBRIGADE本隊、帰路、最初に僕が運転したのですが、サイドブレーキを掛けたまま走ろうとしたり、ミラーをたたんだまま走ってたりと、醜態晒しまくりでした。団長もブルーノ氏も醜態晒してましたが。 本当にいろいろありました。「パラッカム」やら「からす天狗」の話とかどうでも良くなってしまうほどに。 広島に入る直前で運転を交代、その後、記憶が途絶える。 意識がはっきりしてきたのは下関の手前だった。もうみんな疲れきっていた。パラ氏以外はみんな声がおかしい。ハードな旅、ハードな試合。いつか思い出す日もあるだろうか。 またしても帰りの関門海峡越えは僕の運転だった。朝焼けの関門は美しさが切なかった。 思う。この選手達やサポーター仲間達と爆発的な歓喜の渦を作りたい。その時こそ北九州のサポーターとして味わった悔しさや惨めさや、悩みの全てを吐き出してやる。 出会いと笑いと実り多き、そして悔しい遠征でした。 終わりに、この身内ネタ満載の長文を最後まで読んでくれたヨゴレの皆様に感謝。 |
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