2025 01,15 01:08 |
|
2008 07,29 01:56 |
|
(*初めに、このクサレ長文はほとんど身内ネタです。分けて書くほどの内容でもないので一気書きしました。予想以上に長くなったので暇なら読んでねってレベルです。) 何年後かにはACL(アジアチャンピオンズリーグ)で中東勢と当たり、サウジ遠征とかイラン遠征とかあるかも知れん、その日に備えて「仮想中東遠征特別演習2008夏」と称して鳥取砂丘を目指したBRIGADE本隊・・・果たしてその運命や如何に。 「小倉、午前3時」 人一倍張り切っていたワタクシ、2時40分に到着、間違いなく一番乗りだろうとタバコに火を点け余裕をかまして車外に目をやると、ドラッグの売人風の長髪の男がスタスタと歩いている。 我が目を疑う。まさか団長が遅刻もせずに定刻15分前にいるなんて富山遠征以来ではなかろうか。 団長はギリギリか遅れて来るものと確信していた我輩が到着メールを団長ではなくブルーノ・ソメオカ氏の方に出していた事は秘密だ。 ブルーノ氏からは「10分後に着く」との返信が既に来ていた。そしてその通り10分後にブルーノ氏到着。 ETCの深夜割の為、遅刻は許されない事を全員が理解している。完璧だ。これは勝ったな、鳥取に。 一人戦意の高揚を感じる僕の横で団長&ブルーノ氏が不穏な会話を始める。 「メールが返ってこない」「寝てますね」 ああ、そうか、四人目を忘れていた・・・。レジェンド・オブ・北九州と呼ばれるあの男、パラライン閣下を・・・。 団長が半ばキレ気味でパラ氏に電話を掛ける。30分後に着くと言う。やはり寝坊らしい。 4時までに高速に入らなければ深夜割は効かず、この中途半端な時間に集合した意味がなくなる。パラ氏はそれを理解しておられないようだ。 しかし午前3時20分、本当に30分後、髪を短く切ったパラ氏は見たことがない斬新な寝癖で到着。「目覚ましが効いてなくて」と小学生のような言い訳をしておられる。本当にカワイイ人だ。 後にこの髪型と寝癖から新しい名前が付けられる事になろうとは知る由もない。 「下関~津山」 初っ端から波乱含みの展開だったがなんとか無事に関門海峡を越える。帰りには凱旋門として我らを迎えてくれるだろうと心の中で関門大橋に別れを告げる。 寂れた中国自動車道を東へ進む黄色い旅団。車内ではパラ氏が「竹島問題」について熱く語っておられる。 何でも「竹島問題」に関連して対馬に上陸した韓国人が「対馬も韓国領だ」とデモをやらかしていたらしい。 愛国烈士たるパラ氏は本当ならば対馬に赴きたかったとの思いを醸しだしておられる。 長野で中共、笠岡で日○組を撃退したパラ氏は対馬でも不逞なる韓人共を一掃したかったと申されるのか。 まさにレジェンド・オブ・北九州。竹島は日本国の固有の領土でございます。対馬?ふざけんなや韓国人。 そんな話をしながら津山に到着。ここから下道を通って鳥取に向かう。 生粋の田舎者のワタクシ、津山の美しい風景に「ええ田舎や!」を連発、団長も「でけぇクワガタがいそうだ」と目を輝かせておられる。 ああ、よかった。午前3時出発に乗り気でなかった上にパラ氏の遅刻が重なって若干機嫌の悪かった団長も機嫌を直してくれたようだ。この遠征は半ば成功したようなものである。 「IN鳥取」 朝9時半頃には既に鳥取県に侵入していた我々。鳥取市に入っていたものの街の気配が全くない。 鳥取県は最も人口が少ない県らしい。あとで調べた事だが、鳥取市の人口・面積は京築(2市5町)の人口・面積とほぼ同数だった。 どうりで懐かしさを感じるわけだ。鳥取市中央部に入るまでの道は椎田や犀川を走っている錯覚を覚え、市街地は苅田や行橋を走っている錯覚を覚えた。 バードスタジアムを目視した後、我々は鳥取砂丘に急行、砂丘に着いたのは10時半頃だったように思う。 鳥取は連日36度を超える猛暑日でこの日も殺人的な日差しが降り注いでいた。鳥取砂丘に到着し、車を降りた時点で既にMAD総長のテンションは著しく低下していた。 「一番来てはいけない時期の一番来てはいけない時間になんで砂丘にいるんだ、俺達は」とMAD総長が自問自答を始める。危険水域だ。 「団長、ほら砂丘ッス!団長、日本海ッス!団長、らくだッスヨ!」と必死に煽るが、もはや団長のテンションはどん底で回復不可能であった。 さて、鳥取砂丘にラクダがいるのは有名な話だが、このラクダ、写真を撮るだけでも金を取りやがる。 ラクダに乗って周遊すると1800円も取る。有り得ん。 と、思っていたらパラ氏が何やら交渉を始め金を渡しているではないか。まさか乗るのか?という我々の冷視線を気に留める素振りすら見せずに颯爽とラクダにまたがるパラ氏。 まさにレジェンド・オブ・北九州。 「一度は見ておきたかった」と辛うじてノーマルテンションのブルーノ氏、「満喫しました」とハイテンションのパラ氏、「砂丘に来て良かったですね!」と話しかける僕をギロリとにらむ、どん底テンションの団長。 いやぁ本当に楽しかった。 「鳥取砂丘~バードスタジアム」 鳥取砂丘を後にしたのが11時頃。試合開始まであと7時間半。 砂丘から帰ってくる途中の山からイオンが見えたとの証言があり、そこで時間を潰そうという話になる。 しかし手持ちの地図には載っていない。「おそらく駅前のジャスコと見間違えたのだろう」という事でジャスコを目指して鳥取市中心部をぐーるぐる。 二週目にしてジャスコ発見、すぐさまIN。 トイレに向かう団長とパラ氏に「フードコートで座って待ってる」と伝えて別れる。 フードコートでブルーノ氏の「このジャスコが鳥取の中心、鳥取の若者が集まる場所」などとデタラメな解説を聞いているうちに団長が合流するがパラ氏がいない。団長も知らないと言う。 ジャスコで迷子て。子供か。 北九州サポーターで唯一の人格者と言われる僕が「探しに行きましょう」と呼びかけるが、団長&ブルーノ氏から「探さなならんほど重要人物ではない」「なんなら置いて行ってもいい」と、どことなく本気っぽい言葉が返ってくる。 というか本当に探しに行かずにソフトクリームを食べてたわけだが。僕も。 しばらくするとパラ氏が我々を見つけて近づいてきた。「いやぁ、探しましたよ」と表情一つ変えずにのたまう。 パラ氏の中では迷子になったのは自分ではなく我々の方だったらしい。 まさにレジェンド・オブ・北九州。 12時、ファミレスで時間を潰そうという話になりジャスコからでて再び鳥取市街を徘徊。するとイオンの看板を発見、どうやら本当にイオンがあるようだ。 イオンをぶらぶらした後、やっぱりファミレスが良いという事でイオンの前のファミレスに徒歩移動。 せめて15時ぐらいまでは時間を潰さねばならん。 ファミレスに入ってまずはドリンクバーを四人分注文。まぁ基本ですな。 その後、メシを食っていると、「昔NWにいた久保田という選手が今、隣の島根で教員をしている」という話になる。相当に個性的な選手だったらしく話を聞く限りではかなり僕好みのプレイヤーじゃないですか。 「もしかしたら今日、島根から観に来るかも知れませんね」と僕が言うと、「いや、別に来ても俺は用はないけど」とばっさり斬り捨てる団長。 こういう暇つぶしがてらに僕が知らない時代のNWの数々の伝説をよく聞くことができる。 僕が知らない選手やサポーターの名前がたくさん出てくる。残念なのはそれらの伝説的な事柄を誰一人としてライブで書き留めていないことだろうか。 結局はこのように口伝という形でしかNWの歴史が残っていないのだ。 しかしここから先は違う。Jリーグへと続く険しい道程の中で生まれる様々な出来事や、その時サポーターはどう考えていたのかとか、選手達はどうだったのかとか、きっと誰かが書き残してくれるだろうし、誰も書かないなら僕が書くだろうし・・・。実際、タチコのハットとか、何年後かは絶対に伝説として語られるだろうしさ。 そんなことを考えている内に15時になり、ファミレスを出てバードスタジアムに向かおうという話になる。 レシートを見てそれぞれの金額を出してパラ氏に渡す。パラ氏がレジで清算しているうちに団長&ブルーノ氏はとっとと店を出る。実はここでもパラ氏と一悶着あったが割愛します。一つ一つ書いているとキリがない。 「試合前~試合後」 バードスタジアム到着は15時過ぎ。一番乗りであったが駐車場が開放されるのが16時だとか。仕方ないので荷物を降ろして団長とパラ氏を残し、ブルーノ氏と僕が車を停められそうなところで16時まで車中で待機という形になった。 「忘れ物はないですか」とブルーノ氏が声を掛け確認、ここで再び団長&パラ氏のコンビと別れる。 五分後に団長からメール。「こっち来る時アホの荷物も持ってきて」。 名前は出してなかったが僕とブルーノ氏は無言でパラ氏が座っていた後部座席を見る。思いっきり自分の荷物を忘れておられた。 スタジアムで馴染みのサポーター仲間が次々と合流。 数は少ないが様々な遠征地で不利な状況を戦い抜いてきた ここで突然、団長がパラ氏に対して本気のモッシュを敢行。この時一日の出来事が僕の頭の中でフラッシュバック。 午前3時の遅刻の件、財布忘れの件、携帯忘れの件、ジャスコでの迷子の件、ファミレスでの清算の件、荷物忘れの件等々、パラ氏との楽しい思い出が一気に甦り、気がつけば僕もモッシュ祭りに参加していた。 こうやって我々は深い絆で結ばれていくのですね。 あまりに激しいモッシュ祭りに事情を知らない周囲の方々は若干引き気味だったようですが・・・。 試合の方は残念ながらご存知の通り悔しい結果となりました。 本当に悔しかった。審判のせいにする事さえ悔しかった。 試合が終わっても壊れたCDのように歌い続けるガイナーレの連中を尻目に、四天王総帥と肩を組んで「悔しい!ちくしょう!」と月に吠えた。 そういえばこの試合、ファジアーノのサポーターさん達が北九州の応援に来てくれてました。 まぁそれはいいんですが、彼らが去った後に北九州のサポーター仲間が携帯電話を拾う。 みんな遠慮してるようだったので僕が容赦なく開けてみると岡山の選手の爽やかな笑顔の待ち受け画像、思いっきりあいつらやんけ。 そういえば地域決勝でもファジアーノのサポーターが落としたマフラーやら眼鏡やらを北九州サポーターが拾って届けたりしてるのだが、まさか同じことが繰り返されるとはどんだけウッカリ者が多いんだ、岡山は。 とはいえそれが縁で彼らとは比較的良好な関係ではあるわけですが。 スタジアムを出る前に再会し手渡しできたので手間は省けましたね。 こちらの負け試合の後なんで岡山に嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、その前に彼らからこちらを気遣う言葉を掛けてくれたのでやめた。あまり気遣われても惨めなので適当に流したが。 「うちにかえろう」 まぁ他にも鳥取の緑ヘルメットさんや桑原姉さんの話もありますが、直接の絡みは団長なのでそちらにお任せ。とにかくいろいろあった鳥取遠征でした。 こうして鳥取を後にする事になったBRIGADE本隊、帰路、最初に僕が運転したのですが、サイドブレーキを掛けたまま走ろうとしたり、ミラーをたたんだまま走ってたりと、醜態晒しまくりでした。団長もブルーノ氏も醜態晒してましたが。 本当にいろいろありました。「パラッカム」やら「からす天狗」の話とかどうでも良くなってしまうほどに。 広島に入る直前で運転を交代、その後、記憶が途絶える。 意識がはっきりしてきたのは下関の手前だった。もうみんな疲れきっていた。パラ氏以外はみんな声がおかしい。ハードな旅、ハードな試合。いつか思い出す日もあるだろうか。 またしても帰りの関門海峡越えは僕の運転だった。朝焼けの関門は美しさが切なかった。 思う。この選手達やサポーター仲間達と爆発的な歓喜の渦を作りたい。その時こそ北九州のサポーターとして味わった悔しさや惨めさや、悩みの全てを吐き出してやる。 出会いと笑いと実り多き、そして悔しい遠征でした。 終わりに、この身内ネタ満載の長文を最後まで読んでくれたヨゴレの皆様に感謝。 PR |
|
コメント |
こんにちは。京築さんのブログ、いつも愛読しております。
先日はケータイを拾っていただきありがとうございました。また他サポにもかからわず、快くゴール裏にも入らせていただき感謝しております。 当日ご一緒した他の方にもよろしくお伝え下さい。 11月の本城での対戦、楽しみにしています。ありがとうございました。 【2008/07/3110:43】||ファジサポ#554e30c6b5[ EDIT? ]
Re:無題
やぁ、ご本人さんでしたか。携帯電話を拾ったのはTOMMYさんか総帥と呼ばれる方ではなかったかと思います。
プライバシーを無視して携帯を開いた僕が責任持って運営に届ける最中でした。 ファジアーノについては対戦が近づいてきたら書くことになろうかと思います。この半年間だけでもいろいろな事を感じましたから。 三ヵ月後、クソ熱い試合にしたいですね。 |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
忍者ブログ [PR] |