2024 12,27 00:22 |
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2008 07,09 19:17 |
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福岡県行橋市の端っこ(と言ってもウチから車で5分ちょっとなんですが)にある国指定史跡の御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)。 前も行ったんですが暇つぶしにまた行ってきました。 神籠石は九州北部から瀬戸内海沿岸に点在する謎の遺跡であります。 一応、行橋の神籠石は城壁や城門跡、貯水池などから「山城」と見られているようです。 663年に朝鮮半島の白村江の戦いに大敗した後、大陸からの侵攻を防ぐ為に大宰府に水城を築いたのはよく知られているかと思います。御所ヶ谷神籠石も水城と同時代に建設されたとされています。 博多が攻め込まれたら大宰府で迎撃というのが古代からの鉄板戦略であるように、小倉がやられたら京築で迎え撃つというのも実は定石の一つであります。 「車で5分のところにそんな遺跡があるなんてどんだけ田舎なん」というふざけたツッコミを蹴散らしながら御所ヶ岳の入り口まで車で登って行きましょう。 車を降りたらハイキングタイム。 足元で繰り広げられる食物連鎖を見て見ぬ振りをしつつ、道なき道を登ります。 5分もせんうちに息が切れ、足が重力を感じ始めますね。 お上はこのエリアをハイキングコースにしたいようですが無理。とても談笑しながら歩ける山道ではございません。 初めて来た時は調子こいてサンダルで来てどえらい目に遭っていたので今回はちゃんとスニーカー装備、余裕だぜ・・・。 中門です。「御所ヶ谷神籠石」をネットで検索すると大抵この角度からの写真が出てきます。 一所懸命に造ったにも関わらず、結局、大陸のヘタレどもは日本に上陸せず、結局、この山城計画も城壁と城門を築いた時点で放置されちゃった模様。 完成しておればもっとメジャーな史跡になれたものを・・・。 ちょうどここです。 城壁の上に立ってみると何故ここに山城を築いたか判るような気がしますね。 普通に苅田辺りまで見える。見通しの良い日なら朽網まで見えそうです。 小倉を占領して南下を始めれば平尾台を迂回して進む軍勢の動きが丸見え。 戦略的要衝というのがよく判ります。古代人、やりおるな。 神籠石のさらに上に登ると神社があり、その裏に建物跡がありました。 恐らく見張りか現場監督が寝泊りした小屋ではないかと想像。 建物跡には小さな祠が建てられていて、中にはお賽銭が。 僕も祖先を称える意味で入れておいたのは秘密だ・・。 日本人は何かこう、神聖な場所というか「神さま」が居そうだと感じた場所には何故かお賽銭を置く習慣がありますね。 それが普通の池であったり、木であったりする場合もあるから凄い。最初になんとなーく神聖だと感じた人が置いて、その後に神聖さを感じた人が次々と置いていくんだろうな、と。 誰かが強制したわけでもないのに自然とそこが神域になっていく、日本人のこういう感性は大事にしたいなぁと思うのであります。 昔、「日本は神の国である」と発言してブッ叩かれていた政治家がいましたが、その言葉の使い方の正誤は別として、僕はやっぱり日本はそこら中に「神さま」がいる国であり、そう在り続けるべきだと思うのですがいかが。 ところで全国の関係自治体が神籠石をもっとアピールしようと協力して「神籠石サミット」というのを開くそうです。 第三回サミットは10月にここ行橋で開かれ、「神籠石カレー」なる珍商品を出す計画だそうです。何故にカレーかなどと野暮なツッコミはなしで市販されたら買いますけ。 いかがでしたが、第一回京築探検隊。読まない人は読まないでしょうが、隙を見てまたやります。 その内、団長の「くわがたブログ」やOGYさんの「ラーメンブログ」を上回る脱線振りを見せたいと思っております。 PR |
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