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2026 09,30 03:10 |
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2008 08,05 07:56 |
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先週のとある日、急に雨が降り出したので窓の外を見てみると、不思議なことにそこには青空と入道雲が見えました。よくある「狐の嫁入り」かと思ったが、どうも様子がおかしい。 ベランダへ出てみると画面左側、豊津方面では大粒の雨が降り、雷が鳴り響いているのに、画面右側、平尾台方面は何事もないかのような夏の青空が広がっていた。 雨は小雨になったり大粒の雨になったりと落ち着きのない降り方をしている。片方の世界では雷鳴が轟き、片方の世界ではセミが鳴き散らすという、あまりに両極端な風景の狭間にいることに驚き、これが「雨の境界線」というものだろうかと眺めていました。 今、NWは雨雲の下を歩いているのでしょうか。頭上の天気はどうですか。 日曜日、夜遅くに仕事を終え、携帯電話を見ると団長から京都へのお誘いメールが。その瞬間、BRIGADE遠征記第二弾「そうだ、京都へ行こう」の構想が沸き起こってきたが、残念ながらお盆までは死の日程で動きの取れない我が身なれば、泣く泣く不参加の返信を送る。 「試合は下らんかった」の一文に結果を察知。そうか、鞘ヶ谷でも負けたのか・・・。 目の前の横断歩道を渡る、わっしょいの帰りと思われる浴衣や甚平姿の人達を見ながら考える。 この人達に興味を持ってもらうにはどうしたらいいんだろう。敗北の先にどんな未来を語れるだろうか。 サッカーに特に興味があるわけでもない一般の人達に、結果も持たずに未来を語り、尚且つポジティブな興味を持ってもらうのは本当に難しい・・・。 順位は8位。う~ん、意外(?)にまだここか、と思う反面、4位以内に入るにはそろそろ際が近づいてきてるかなという印象ですね。一回や二回勝った程度では状況は変わらないのに一回でも負けるとたちまち土壇場に追いやられるという忍耐を要する局面を迎えたようです。 この期に及んでは佐川印刷を一蹴し、ソニー仙台に雪辱を果たしてJFLでの戦線に踏み留まり、次いで天皇杯出場権を獲得してその存在を県下に知らしめるべし。 以前の上位陣との連戦ではこのチームの可能性を見せてもらいました。 そしてこの8月はチームの本質を見る機会が訪れたと言えます。 可能性を見せた春、本質が見える夏、雨と晴れの境界線を行き来するNW北九州。 秋にはどんな結論を出しているだろうか。 PR |
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2008 08,02 22:18 |
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画像は鳥取戦前の設営中のひとコマ。現在、アウェーでしか見ることが出来ない貴重な横断幕を激撮。ピッチに降りて撮影したように見えて全く降りてなかったりする。 久し振りに友人と小倉に行きました。京築方面には映画館がないので小倉に出なきゃならんです。 チャチャで職場の同僚とばったり遭遇。小倉は大きな街ですが意外に狭いのかなと思う時がありますね。どこへ行っても誰かに遭遇する可能性を感じる。京築地域の友人、小倉で働いていた時の同僚、、その他諸々、ばったり出会って「おお、なんしよん」とお決まりの挨拶。本当によくある。 小倉の雑踏の中で思う。誰もが誰かとどこかで繋がっている。 すれ違う人達の何人かは必ずNWを知っている。観に来たことがあるかも知れない。 今、通り過ぎた眼鏡の兄さん、僕と目が合った小学生の男の子、いや、意外に子連れのママさんも観に来てるかも知れん。行き交う車の中にもいるかも知れないね。 何気にこのブログを知っている人もいるかな。いるといいな。 友人と話しながらそんなことをふと考えている。 このブログに迷い込んだ人達にNWに対する興味を少なからず抱いてもらえるようにやろう。 どこかですれ違ってる人達、やがてはホームで出会うかもしれない人達に。 試合に負けた悔しさで余計な鬱憤をさらしてしまいそうな時は、また苅田の山に駆け登って両手一杯に地元を感じてみるか。右手の指先の門司から、目の前の皿倉山と平尾台を胸に、左手の指先の豊前まで。 サッカーに、というかスポーツ観戦自体に興味のない友人が「まだナントカってサッカーチームを応援しとるの?」と尋ねてくる。「まだ?まだ始まったばっかりやないか」と笑って答えた夏の休日。 今日、鳥取が岡山に勝ったようですな。「鳥取がこれで息を吹き返したかも知れん」という先の試合後の我々の予感は当たっていたのでしょうか。ともあれ混戦必死の様相を呈してきましたが、これは北九州としては望むところですね。この花火の中に飛び込む為にはこれ以上の後退は許されません。 明日8月3日(日)、15:00より、北九州絶対防衛拠点「鞘ヶ谷」にて秋田の雄、TDK SCを迎撃します。 僕は仕事の都合で行けませんが、相も変わらず仲間達は熱くやってくれることでしょう。 そして「あのゴールは凄かった」と自慢し僕を歯軋りさせることを望んでいます。 噂によると魂と魂をぶつけ合うモッシュ選手権が予定されているとの事。 「Time to dive into the fireworks! 」 by Larry Foulke |
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2008 07,31 13:08 |
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鳥取からの帰り、岡山の本村(?)から山口の美祢の辺りまで寝させてもらったこともあり、小倉に着いた時にはスッカリ頭が冴えてしまっていた。 負けた試合の帰り道、一人でハンドルを握っている時はいつだって考え事をしてしまう。 一つは鳥取から一人で帰って来る仲間達の事。一つはNWがこれからどうなっていくか。そして自分はどうしたらいいのか。 頭の中で自動再生される昨夜の負け試合の映像と共に考えていると、とてもすんなり帰る気にはなれなかった。 「そうだ、山に登ろう。」 中途半端に体力が回復するからいろいろモヤモヤしてしまうのさ。 それならヘトヘトのバテバテになって家についてシャワーを浴びたら死んだように眠れるはずだ。 新北九州空港への連絡道路の途中にポッコリとした山がある。その山が昔の山城だったことは以前から知ってはいた。740年頃に築城され、戦国時代の終焉と共に廃城となったという松山城。 鳥取帰りのその足で頂上に登ってみよう。登山日和だぜ。 と、まぁ勢いだけで山の高さも、実際に登れるのかどうかすらも知らないまま、「行けば何とかなる」と寄り道ブッこいたのでございます。 まず登り口がすげぇ判りにくい。普通の民家と畑の中を通って行く感じ。 一番上の画像のところまで来た時点で少し不安になるが、撃ちてし止まんの精神を以って突撃す。 登山道は整備されてはいるが、角度が急でみるみる体力が削られていく。 途中に休憩する為の丸太の椅子がある。そうか、この山はそれなりの覚悟で登らなならん山だったか・・・。 すんません、あまりの厳しさに途中、写真は撮れませんでした。だってキツイんだもの、たぐお。 頂上付近には何やら発掘調査中の遺構があったが、どうでもいい感じになってしまっていた。 当時のものと思われる石積みの階段を駆け上がると、くまんばちの群れが出迎えてくれた。大群だ。 ちゅーか確実に巣があるだろってレベルの大群だ。 僕はノルマンディーに上陸した兵士のように身をかがめて広場を抜け、見晴らしの良い場所を目指した。 ここで初めて山の高さを知る。高さ130m。登山距離381m。大したことないようで大したことあった。 381mを走るとしんどいよね。それを上に登るんだからそりゃあバテますわ。冷静に考えたなら小学生でも判る事実であったが、当時の僕は山に登りたい一心で脳の回転がシンプルになっていたのだ。 画像は松山城跡から見た苅田・行橋方面。マイ・タウン。奥が英彦山。 小倉方面。左側奥が皿倉山(らしい)。真ん中の山は足立山。 手前がウェービー君の故郷、曽根干潟。 ウェービー君はいませんでした。ちゅーかいるほうが珍しいワケだが。 画面を右にスライドさせると北九州空港の連絡橋が見えるのだが、くまんばちの群れが頭上を飛び交う為、集中できん。 それ以前に直射日光を受けてめまいがしてきた。久し振りに命の危険を感じる。帰ろう。再び身をかがめ、くまんばちの群れの真下をすり抜ける。 今度は381mを駆け下りねばならないが、下りの時は足への衝撃が登りの時よりも強く、足場の悪さもあって落下しそうになる。重力と速度を考慮しながら足を下ろすが一歩ごとに足の裏に激痛が走る。 遠足は帰るまでが遠足である。同じように遠征もまた家に帰るまでが遠征なのだ。 つまり、まだこの時点で僕の鳥取遠征は終わっていない。死ぬわけにはいかん。 ここで死んだら「アイツは鳥取に行ったはずなのに、なぜ苅田の山で死んでいたのか」と真夏のミステリーに書き加えられてしまう。 どちらかと言えば、僕はミステリーの現場に颯爽と現れ、「謎は全て解けた!」とか言うほうがいい。死体で登場など御免こうむる。 なんて下らない妄想をしているうちに無事に下山。見た目以上にキツイ山だった。 近くの自販機でスポーツドリンクを買い、逃げるように10号線を南に下って無事に家に辿りついたのでございます。 教訓:1、真っ直ぐ家に帰る :2、思いつきで山に登らない どうやらまた一つ賢くなったようだ。 余談ですが曽根干潟にいなかったウェービー君、こんなところにいました。 次節は8月3日(日)15:00より鞘ヶ谷にてTDK SC戦。 その時間でも相当の蒸し暑さの中での試合になるでしょう。 サッカーをするのも観るのもハードな季節、それでもなおハードな応援を続ける仲間達の奮闘とその無事を祈らずにはいられない。 例えこの身は離れていても、我が魂、常に同志諸兄らと共に在り。 |
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2008 07,30 20:54 |
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某ブログの某氏が先の鳥取戦の結果に怒り心頭に達しておられるようだ。 流しても良かったが名指しで「優等生的発言」と遠まわしにディスられたのでレスポンスしてみようかと思う。 現地では随分、それこそ桑原主将が止めに来るまで激しくやらせてもらったが、気持ちを整理してネット上に文章を書くと「優等生」になるらしい。間違いではないね。 勝った試合の後には特に何も考えずに文章を作るが、負けた後はそれなりに神経を使う。読む人のテンションを下げないか、負け犬の遠吠えになっていないか等々。 少なくとも僕が鳥取のサポーターで、北九州のサポーターがネット上で審判叩きをしていると知ったら爆笑ものなんですが。 「ハメドを自由に走らせたのは審判ですか?」「小井手の難しいシュートが決まったのも審判の力ですか?」「おたくの宮川がシュートミスしたのも審判のせいなんですか?」って。 それがなお悔しいからこそ審判の事は最小限にしか書きません。 「ジャッジが偏っていたように思えた」という主観的事実と、「ゴールを決められ、ゴールを決められなかったから負けた」という客観的事実、そして「クソジャッジでも勝てる強さが欲しい」という主観的結論。 現地では今まで通り激しくやらせてもらうが、ブログではそれで十分だと思っている。 どうしても怒りが収まらない、のこのこ帰ってきた(と、思っている)現地組は不甲斐ないというなら、クラブを通してJFLに正式に抗議でもすればよい。 仲間を一番信じてないのはアンタなんじゃねーのという感想を抱きましたね。 繰り返しになりますが、現地では今まで通り激しくやらせてもらう。しかしネット番長になる気はない。あくまで現場主義。それが僕の答えです。 |
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2008 07,29 01:56 |
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(*初めに、このクサレ長文はほとんど身内ネタです。分けて書くほどの内容でもないので一気書きしました。予想以上に長くなったので暇なら読んでねってレベルです。) 何年後かにはACL(アジアチャンピオンズリーグ)で中東勢と当たり、サウジ遠征とかイラン遠征とかあるかも知れん、その日に備えて「仮想中東遠征特別演習2008夏」と称して鳥取砂丘を目指したBRIGADE本隊・・・果たしてその運命や如何に。 「小倉、午前3時」 人一倍張り切っていたワタクシ、2時40分に到着、間違いなく一番乗りだろうとタバコに火を点け余裕をかまして車外に目をやると、ドラッグの売人風の長髪の男がスタスタと歩いている。 我が目を疑う。まさか団長が遅刻もせずに定刻15分前にいるなんて富山遠征以来ではなかろうか。 団長はギリギリか遅れて来るものと確信していた我輩が到着メールを団長ではなくブルーノ・ソメオカ氏の方に出していた事は秘密だ。 ブルーノ氏からは「10分後に着く」との返信が既に来ていた。そしてその通り10分後にブルーノ氏到着。 ETCの深夜割の為、遅刻は許されない事を全員が理解している。完璧だ。これは勝ったな、鳥取に。 一人戦意の高揚を感じる僕の横で団長&ブルーノ氏が不穏な会話を始める。 「メールが返ってこない」「寝てますね」 ああ、そうか、四人目を忘れていた・・・。レジェンド・オブ・北九州と呼ばれるあの男、パラライン閣下を・・・。 団長が半ばキレ気味でパラ氏に電話を掛ける。30分後に着くと言う。やはり寝坊らしい。 4時までに高速に入らなければ深夜割は効かず、この中途半端な時間に集合した意味がなくなる。パラ氏はそれを理解しておられないようだ。 しかし午前3時20分、本当に30分後、髪を短く切ったパラ氏は見たことがない斬新な寝癖で到着。「目覚ましが効いてなくて」と小学生のような言い訳をしておられる。本当にカワイイ人だ。 後にこの髪型と寝癖から新しい名前が付けられる事になろうとは知る由もない。 「下関~津山」 初っ端から波乱含みの展開だったがなんとか無事に関門海峡を越える。帰りには凱旋門として我らを迎えてくれるだろうと心の中で関門大橋に別れを告げる。 寂れた中国自動車道を東へ進む黄色い旅団。車内ではパラ氏が「竹島問題」について熱く語っておられる。 何でも「竹島問題」に関連して対馬に上陸した韓国人が「対馬も韓国領だ」とデモをやらかしていたらしい。 愛国烈士たるパラ氏は本当ならば対馬に赴きたかったとの思いを醸しだしておられる。 長野で中共、笠岡で日○組を撃退したパラ氏は対馬でも不逞なる韓人共を一掃したかったと申されるのか。 まさにレジェンド・オブ・北九州。竹島は日本国の固有の領土でございます。対馬?ふざけんなや韓国人。 そんな話をしながら津山に到着。ここから下道を通って鳥取に向かう。 生粋の田舎者のワタクシ、津山の美しい風景に「ええ田舎や!」を連発、団長も「でけぇクワガタがいそうだ」と目を輝かせておられる。 ああ、よかった。午前3時出発に乗り気でなかった上にパラ氏の遅刻が重なって若干機嫌の悪かった団長も機嫌を直してくれたようだ。この遠征は半ば成功したようなものである。 「IN鳥取」 朝9時半頃には既に鳥取県に侵入していた我々。鳥取市に入っていたものの街の気配が全くない。 鳥取県は最も人口が少ない県らしい。あとで調べた事だが、鳥取市の人口・面積は京築(2市5町)の人口・面積とほぼ同数だった。 どうりで懐かしさを感じるわけだ。鳥取市中央部に入るまでの道は椎田や犀川を走っている錯覚を覚え、市街地は苅田や行橋を走っている錯覚を覚えた。 バードスタジアムを目視した後、我々は鳥取砂丘に急行、砂丘に着いたのは10時半頃だったように思う。 鳥取は連日36度を超える猛暑日でこの日も殺人的な日差しが降り注いでいた。鳥取砂丘に到着し、車を降りた時点で既にMAD総長のテンションは著しく低下していた。 「一番来てはいけない時期の一番来てはいけない時間になんで砂丘にいるんだ、俺達は」とMAD総長が自問自答を始める。危険水域だ。 「団長、ほら砂丘ッス!団長、日本海ッス!団長、らくだッスヨ!」と必死に煽るが、もはや団長のテンションはどん底で回復不可能であった。 さて、鳥取砂丘にラクダがいるのは有名な話だが、このラクダ、写真を撮るだけでも金を取りやがる。 ラクダに乗って周遊すると1800円も取る。有り得ん。 と、思っていたらパラ氏が何やら交渉を始め金を渡しているではないか。まさか乗るのか?という我々の冷視線を気に留める素振りすら見せずに颯爽とラクダにまたがるパラ氏。 まさにレジェンド・オブ・北九州。 「一度は見ておきたかった」と辛うじてノーマルテンションのブルーノ氏、「満喫しました」とハイテンションのパラ氏、「砂丘に来て良かったですね!」と話しかける僕をギロリとにらむ、どん底テンションの団長。 いやぁ本当に楽しかった。 「鳥取砂丘~バードスタジアム」 鳥取砂丘を後にしたのが11時頃。試合開始まであと7時間半。 砂丘から帰ってくる途中の山からイオンが見えたとの証言があり、そこで時間を潰そうという話になる。 しかし手持ちの地図には載っていない。「おそらく駅前のジャスコと見間違えたのだろう」という事でジャスコを目指して鳥取市中心部をぐーるぐる。 二週目にしてジャスコ発見、すぐさまIN。 トイレに向かう団長とパラ氏に「フードコートで座って待ってる」と伝えて別れる。 フードコートでブルーノ氏の「このジャスコが鳥取の中心、鳥取の若者が集まる場所」などとデタラメな解説を聞いているうちに団長が合流するがパラ氏がいない。団長も知らないと言う。 ジャスコで迷子て。子供か。 北九州サポーターで唯一の人格者と言われる僕が「探しに行きましょう」と呼びかけるが、団長&ブルーノ氏から「探さなならんほど重要人物ではない」「なんなら置いて行ってもいい」と、どことなく本気っぽい言葉が返ってくる。 というか本当に探しに行かずにソフトクリームを食べてたわけだが。僕も。 しばらくするとパラ氏が我々を見つけて近づいてきた。「いやぁ、探しましたよ」と表情一つ変えずにのたまう。 パラ氏の中では迷子になったのは自分ではなく我々の方だったらしい。 まさにレジェンド・オブ・北九州。 12時、ファミレスで時間を潰そうという話になりジャスコからでて再び鳥取市街を徘徊。するとイオンの看板を発見、どうやら本当にイオンがあるようだ。 イオンをぶらぶらした後、やっぱりファミレスが良いという事でイオンの前のファミレスに徒歩移動。 せめて15時ぐらいまでは時間を潰さねばならん。 ファミレスに入ってまずはドリンクバーを四人分注文。まぁ基本ですな。 その後、メシを食っていると、「昔NWにいた久保田という選手が今、隣の島根で教員をしている」という話になる。相当に個性的な選手だったらしく話を聞く限りではかなり僕好みのプレイヤーじゃないですか。 「もしかしたら今日、島根から観に来るかも知れませんね」と僕が言うと、「いや、別に来ても俺は用はないけど」とばっさり斬り捨てる団長。 こういう暇つぶしがてらに僕が知らない時代のNWの数々の伝説をよく聞くことができる。 僕が知らない選手やサポーターの名前がたくさん出てくる。残念なのはそれらの伝説的な事柄を誰一人としてライブで書き留めていないことだろうか。 結局はこのように口伝という形でしかNWの歴史が残っていないのだ。 しかしここから先は違う。Jリーグへと続く険しい道程の中で生まれる様々な出来事や、その時サポーターはどう考えていたのかとか、選手達はどうだったのかとか、きっと誰かが書き残してくれるだろうし、誰も書かないなら僕が書くだろうし・・・。実際、タチコのハットとか、何年後かは絶対に伝説として語られるだろうしさ。 そんなことを考えている内に15時になり、ファミレスを出てバードスタジアムに向かおうという話になる。 レシートを見てそれぞれの金額を出してパラ氏に渡す。パラ氏がレジで清算しているうちに団長&ブルーノ氏はとっとと店を出る。実はここでもパラ氏と一悶着あったが割愛します。一つ一つ書いているとキリがない。 「試合前~試合後」 バードスタジアム到着は15時過ぎ。一番乗りであったが駐車場が開放されるのが16時だとか。仕方ないので荷物を降ろして団長とパラ氏を残し、ブルーノ氏と僕が車を停められそうなところで16時まで車中で待機という形になった。 「忘れ物はないですか」とブルーノ氏が声を掛け確認、ここで再び団長&パラ氏のコンビと別れる。 五分後に団長からメール。「こっち来る時アホの荷物も持ってきて」。 名前は出してなかったが僕とブルーノ氏は無言でパラ氏が座っていた後部座席を見る。思いっきり自分の荷物を忘れておられた。 数は少ないが様々な遠征地で不利な状況を戦い抜いてきた ここで突然、団長がパラ氏に対して本気のモッシュを敢行。この時一日の出来事が僕の頭の中でフラッシュバック。 午前3時の遅刻の件、財布忘れの件、携帯忘れの件、ジャスコでの迷子の件、ファミレスでの清算の件、荷物忘れの件等々、パラ氏との楽しい思い出が一気に甦り、気がつけば僕もモッシュ祭りに参加していた。 こうやって我々は深い絆で結ばれていくのですね。 あまりに激しいモッシュ祭りに事情を知らない周囲の方々は若干引き気味だったようですが・・・。 試合の方は残念ながらご存知の通り悔しい結果となりました。 本当に悔しかった。審判のせいにする事さえ悔しかった。 試合が終わっても壊れたCDのように歌い続けるガイナーレの連中を尻目に、四天王総帥と肩を組んで「悔しい!ちくしょう!」と月に吠えた。 そういえばこの試合、ファジアーノのサポーターさん達が北九州の応援に来てくれてました。 まぁそれはいいんですが、彼らが去った後に北九州のサポーター仲間が携帯電話を拾う。 みんな遠慮してるようだったので僕が容赦なく開けてみると岡山の選手の爽やかな笑顔の待ち受け画像、思いっきりあいつらやんけ。 そういえば地域決勝でもファジアーノのサポーターが落としたマフラーやら眼鏡やらを北九州サポーターが拾って届けたりしてるのだが、まさか同じことが繰り返されるとはどんだけウッカリ者が多いんだ、岡山は。 とはいえそれが縁で彼らとは比較的良好な関係ではあるわけですが。 スタジアムを出る前に再会し手渡しできたので手間は省けましたね。 こちらの負け試合の後なんで岡山に嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、その前に彼らからこちらを気遣う言葉を掛けてくれたのでやめた。あまり気遣われても惨めなので適当に流したが。 「うちにかえろう」 まぁ他にも鳥取の緑ヘルメットさんや桑原姉さんの話もありますが、直接の絡みは団長なのでそちらにお任せ。とにかくいろいろあった鳥取遠征でした。 こうして鳥取を後にする事になったBRIGADE本隊、帰路、最初に僕が運転したのですが、サイドブレーキを掛けたまま走ろうとしたり、ミラーをたたんだまま走ってたりと、醜態晒しまくりでした。団長もブルーノ氏も醜態晒してましたが。 本当にいろいろありました。「パラッカム」やら「からす天狗」の話とかどうでも良くなってしまうほどに。 広島に入る直前で運転を交代、その後、記憶が途絶える。 意識がはっきりしてきたのは下関の手前だった。もうみんな疲れきっていた。パラ氏以外はみんな声がおかしい。ハードな旅、ハードな試合。いつか思い出す日もあるだろうか。 またしても帰りの関門海峡越えは僕の運転だった。朝焼けの関門は美しさが切なかった。 思う。この選手達やサポーター仲間達と爆発的な歓喜の渦を作りたい。その時こそ北九州のサポーターとして味わった悔しさや惨めさや、悩みの全てを吐き出してやる。 出会いと笑いと実り多き、そして悔しい遠征でした。 終わりに、この身内ネタ満載の長文を最後まで読んでくれたヨゴレの皆様に感謝。 |
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